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記念インタビュー

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記念インタビュー

職人歴18年目を迎える木工家具職人の添田。
福岡での厳しい修業期間、横浜を拠点とした関東での独り立ちを経て、
2017年福岡にUターンし自身の工房を構え、家具ブランドYOAKEを開業。

2020年、隈研吾氏などが審査員を務める「JAPAN WOOD DESIGN AWARD 2020」にて優秀賞(林野庁長官賞)を受賞。
作品づくりと一般販売向けの家具をつくる一方、
各界の作家からもオーダーメイドの家具や建具などの依頼が殺到。
今回のWebリニューアルを記念してインタビューを行いました。

家具職人 添田晨そえだしん

YOAKE 代表

添田 晨(そえだ しん)

(聞き手:西本 朗羅)

―Webリニューアルおめでとうございます。
改めてですが、木工職人になったきっかけを教えて下さい。

添田:なんか、照れくさいですね。(笑)
きっかけというと、子どもの頃から画家だった父が、よく家具工房とか陶芸家の窯元とかに遊びに連れてってくれていたので、木とか土とかで作られたものが好きでした。
ただ、小さい頃はなんとなく素敵だな、位で。

転機だったのは高3の冬です。
母が特注でベッドをある家具職人さんにオーダーしてくれたのですが、「いずれ一人暮らしするだろうから」と言って、わざわざ持ち運びがしやすい組み立て式のものを頼んでくれました。

それで忘れもしない、納品当日。
風がピューピュー吹くような吹雪の日に、山奥から軽トラで大きな体の家具職人さんがベッドを運んできてくれたんですけど、まだ組み立てられてなくて。

それで、自宅に来て僕を見るなり「一人暮らしするためにプレゼントしてもらったんだろう?それじゃ、自分で組み立てられるようにならないとな」と。

「え?」って、最初正直戸惑ったんですけど、
なんか恐いし、とりあえず言われるがまま手を動かして。(笑)
でも気付いたら汗だくになっていて、腕もパンパンになりながら、
なんとか組み上げ終えていました。そしたら、なんか今まで味わったことない感情が込み上げてきて。さっきまでバラバラの木材だったのが、自分の力で大人3人乗っても全く揺るがないベッドにできたことに、経験したことないほど感動している自分がいたんです。

それで「あぁ、自分って作ることでこんなに感動できるんだ。自分もこんな感動を届けられるようになりたい。家具職人になりたい」って。
その時の気持ちは今でも忘れられません。

実はその、ある家具職人さんっていうのが、
後にめちゃくちゃスパルタな師匠になるんですけど(笑)

―スパルタな師匠(笑)
その時の感動をずっと忘れずに貫けるってすごいですね。
何歳位から本格的に目指し始めたんですか?

添田:本格的には23歳ですね。大学卒業してからすぐに本当は修業させてもらいたかったんですけど、「最低限のことは他で学んで来なさい」と言われてしまって。それで1年間訓練学校で学んで、再度お願いしに行きました。
1年通い終わったということで流石に師匠も了承してくれたんですけど、
これがとんでもない日々の始まりでした(笑)

―とんでもない日々…。

添田:まず入って3ヶ月ほどは作らせてもらえない。ひたすら掃除です。そして隅の掃除ができていないとめちゃくちゃ怒られるんです。「そういう細部への気遣いが、家具作りにも出るぞ」と。

―すごい。昭和のスポコン漫画に出てきそう…。

添田:(笑)そうかもしれない。でもその後、表面のみ削る、とか、
それができたらじゃあ次はこれだと違う技に挑戦させてもらえて。

そうすると、できるんですよ。言われた通りにやるだけでものができてしまう。それで、「あれ、これ本当に自分でできたのか?」って。

―修業時代のこともっと詳しく聞かせてください。

添田:24〜28歳までが修業時代だったんですけど、そんな風に段々挑戦させてもらって、ある時ドンと1個丸々任されるようになる。それでどんどんハマっていきました。

ただ、正直焦りはありました。平日は朝から晩まで修業して、土日は生活費のために朝から晩までイタリアンレストランでピッツァ職人としてバイトして、といった生活だったんですけど。

(アルバイト経験の名残りで、現在は自社工房に窯を作り、時々お客様とピッツァパーティーを開催している。)

そのバイト先のメンバーは今でも繋がっている位仲が良いんですけど、
みんなめちゃくちゃ優秀で。どんどん卒業して大企業に行ったり活躍したりしていく中で、一人だけほぼ収入も無い中修業して。

このままで良いのか、って気持ちも正直ありましたけど、「絶対家具職人になって人を感動させるんだ!」って逆にそういう仲間がいたからこそ自分の道を信じ抜きたい気持ちにもさせてもらいました。

―修業はどのように終えたんですか?

添田:修業期間は長くなりすぎると癖がついてしまう。その癖がつき過ぎると次に進めなくなるからと、師匠があらかじめ期間を設けてくれていました。それで、そのあとは違う世界を見てこいってことで、関東の企業とかにも推薦状とか書いてくれて。

―その後の人生のことも考えてくれてたんですね。

添田:はい、それでまずは広い世界を見てみたいなと思い関東に行きました。ただ、実は最初から独立するつもりじゃなくて。上京した時、国宝とか重要文化財とかの修繕をする、その道では有名な企業に内定をもらったんですけど、もの凄い技術を身につける代わりに家具職人としての道は逸れるという選択肢を迫られて、思い直し、横浜にある小さな建築工務店に入りました。

―家具工房とかではないんですね。

添田:やっぱりそのまんま同業だと師匠からもらった技術が盗まれる可能性もあるし、一からまた修行のような状態になるのも違うなと思って。
それに今の家具業界は、はっきり言って大量生産、大量消費、低価格の企業が台頭していて、小さな家具屋は雇用自体難しいという側面もありました。

―今の家具業界について思うことはありますか?

添田:たくさん言いたいことはあります。
あまりにも短期消費のライフスタイルには、やっぱり違和感を覚えます。YOAKEは、“世代を超えて人生を豊かにするブランド”でありたいと掲げているんですが、“世代を超えて人生を豊かにする”とは、“その人と共に歳を重ねていくこと”だと思っていて。生活の記憶が刻まれていくような。
だから見えない部分ではありますが、壊れにくく、メンテナンスしやすい作りにしています。そこには日本の伝統技法を使っています。
世代を超えて使われるには、世代を超えて培われてきた技術が必要だろうと。

―今の時代、シェアリングエコノミーという考え方も増えてきました。

添田:そうですね。でも、本来は元々あった考え方なんです。それは、親から子へのシェアという考え方です。シェアという考え方が再び世の中に浸透してきているからこそ、丁寧なつくりを心掛けたいと考えています。

―建築工務店時代はどうでしたか?

添田:最初、全然ダメで。(笑)っていうのが、「家具職人」という悪い意味でのプライドがあったんです。建築工務店は通常、家とか内装とかの基礎工事をするんですが、その会社は時々テーブルとか椅子とか、そういう家具のオーダーも丸ごと取ってきてくれたんです。だから家具が作れるときはモチベーションが上がって、それ以外の仕事は全然モチベーションが上がらないという…。で、もう良いやと思って2年位した時に独立したんです。

でも実際、家具屋だけで最初から仕事があるわけではないから結局また建築の仕事も並行してやっていて。ただ、今度は仕事ができなきゃ本当に稼げない。
それで必死になって建築の仕事も覚えていく。そうすると段々楽しくなってくるんですよね。あれもできるようになった、これもできるようになった。そしたら今度これもできるかな?みたいな。

そしたら段々、ただ家具だけを考えるんじゃなくて、空間全体としての家具の在り方とかの考え方も広がってきたり、技術的な部分で掛け合わせた工夫ができたり、家具のレベルも上がってきて。

―繋がってきたんですね。

添田:そうなんです。一生懸命やると、なんでも楽しいんですよね。だから今もオーダーメイドで建築や内装工事もやっています。

―なぜそのまま横浜でなく福岡に戻ったんですか?

添田:1つは、自分の家具のインスピレーションは自然からもらっているからです。自然が溢れる場所に身を置くことによる影響は大きいです。

もう1つは、大資本が渦巻く都市圏の中では、もちろん稼ぎは良いんですが、小さい頃ベッドをもらったあの感動が薄れていってしまう気がしたからです。

―原点に戻ることで良いリスタートを切れたわけですね。
福岡に戻ってブランドを立ち上げようと思った経緯を教えてください。

添田:福岡に戻ってすぐ、福岡市天神の警固で展示会をやった時、
本当に沢山のお客様が買ってくれたんです。それでも全然自信は持てなくて。

そんな中、ふと思い立って「JAPAN WOOD DESIGN AWARD 2020」に応募したら、優秀賞(林野庁長官賞)を頂いてしまって。なんか、そこで初めて自分の可能性を信じてみたいって思ったんですよね。その時出品したのは、小さな木硯(もっけん)でした。

たまたまある学校で講演をさせてもらうことになって、それで学生の子たちがアンケートを書いてくれたんですけど、字があまりにも汚くて…。アンケート自体はめちゃくちゃ嬉しかったんですけど、その字にちょっとショックを受けちゃって。

今って文字を打つ時代ですけど、手書き文化の良さもちゃんと残したいなって思って作りました。

そういう思いもあって作った作品が表彰していただけたことで、なんか、僕みたいな小さな存在の想いでも、物を通してであれば世の中に届くのかもしれないって思えたんです。

―まさに、“YOAKE”が来たんですね。

添田:本当にそうです!実は、僕の名前の「晨」という漢字は、「夜明け」という意味なんです。「夜明け」って、当たり前ですけどどんな場所にも来るんです。それこそ、大都会だろうと、田舎の辺境地だろうと。静謐な時間の中で、太陽のエネルギーが静かに満ち溢れてきて、ぐぅーっと辺りを照らし出す。そんな優しくて力強い光を放つようなものを届けたい。そしてあわよくば、自分自身の可能性を信じるように、誰かの可能性も照らしたい。そんな想いを籠めて、“YOAKE”という名前にしました。

今もまだ全然自信は無いんですが、最初は本当に孤独で、不安とか、悔しさとか、そういう混沌とした中でもがいていた気がします。でも、自分を信じて努力し続けてきたことで、やっと少し日の目を浴びることができた。
今回Webリニューアルで変えたトップ画は、まさにそんな想いを表現してもらえたと思います。

(絵:水谷 有希子)

―今回なぜWebリニューアルをしようと思ったんですか?

添田:賞を頂いたり、色んなお客様と接したりする中で、改めて自分に問い直した時に、今まで自分は作る努力はしてきたけど、届ける努力はしてきたのかな?って。本当に可能性を届けたいなら、ちゃんと届ける努力もしなきゃって思って。だから、実はWebだけでなく、まだ言えないんですが、色んなことにチャレンジしていこうと思っています。

―ブランドとして次の一歩を踏み出したわけですね。

添田:そうです。昔は自分の周りだけに届けられれば良いやって思ってたんですけど、届けたい想いがあるなら、言うだけじゃなくって、やっぱり物を通して遠くに届けていかなければと思っています。

―これからのご活躍が益々楽しみです。ありがとうございました。

添田:ありがとうございました。

福岡県八女市の森の小さな家具工房 YOAKE ヨアケ 夜明け 添田晨

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